
私は緩やかなる自由主義者であり、緩やかなる功利主義者です。
こういうと、自己責任がベースの新自由主義や生産性を最優先する考え方をイメージされるかもしれませんが、そうではありません。
自由主義というのは、「〇〇はしてもいい」ではなく、「〇〇以外はしてもいい」という考え方です。
「〇〇以外は」という条件が付くことの方が多いのですが、この「自由の条件」を整えることが自由主義にとって最も重要なところです。
自由の条件については、私が大学・大学院で研究したJ.S.ミルという人の「自由論」という本の中にある「他者危害の原則」というのが有名です。
「他者に危害を加えない限り、自由にしてよい。」という原則です。
どのように自由に生きるかは多様でよく、その人がそれぞれ真剣に考えることが、とても倫理的だと思います。
また、功利主義というのは優先順位をつけるということです。だって、もし資源が有限ならば、より多くの人が喜ぶ順に行いたいと思いませんか。
災害時のトリアージなどは功利主義の考え方がベースになっていますね。でも、そのために著しく困る人や不幸になる人があってはいけないと思います。ここにもやはり、「功利主義の条件」が隠れています。
私は「緩やかな」というのがポイントだと思います。条件のない、ストッパーのない自由主義や功利主義ではなく、安心して自由にがんばることができ、より多くの人に幸福を与えられるようにする。
そのために、自由主義と功利主義が可能な条件(コンディション)を整えることこそ、政治が方向を示し、行政が司るべき仕事ではないでしょうか。
私はこの仕事で努力が報われる社会を実現し、より多くの人が救われる政策を限られた財源や人的資源の中で実現したい。
だから私は今でも、緩やかなる自由主義者であり、緩やかなる功利主義者なのです。
